これはレモンケーキではない

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製作年: 2013
サイズ:  7.5×3.5cm
材料: レモン、リモンチェッロ、クレームエペス、薄力粉、強力粉、アーモンドパウダー、ベーキングパウダー、グラニュー糖、粉糖、塩、無塩バター、卵
価格: ¥300

子供の頃は旧盆が大好きで、仏壇の前に山の様に盛られるお菓子たちにただただ興奮していた。かるかん、マドレーヌ、くんぺん、こー菓子、そして、レモンケーキ。料理や果物と一緒に、それらがあふれるようにお供えされている。レモンケーキ。銀色のモダンな包装と、お菓子としては不自然なほどに艶やかな半球体。そのケーキは僕を夢中にさせる魔法を持っていた。おいしそう!毎年そう思って食べて、毎年僕は残念な気持ちになる。ホワイトチョコレートの様な感触だけれども味のないコーティング、生気をそぐようにぱさぱさの生地。なにより、甘酸っぱいレモンの味がしない。つまらない味がする。魔法ははじけて後悔だけが残り、切なくなった僕は二度とレモンケーキなんか食べないんだと誓う。

でも僕は翌年もまだまだ子供で、旧盆がくればまた嬉々としてその銀色の包みに甘い欲望の視線をトロンと向ける。レモンケーキ!同じ魔法にかかった従姉妹たちがトロンとした目で大袈裟に喜んで、僕もレモンケーキ!とつい声を上げ、それを二口で平らげる。そして、あの切なさに襲われる。口のなかでモソモソといつまでも消えないつまらないケーキがいる。女の子達はおいしいおいしいと相変わらず声を上げてレモンケーキを食べているので視線をそらすと、大学生の従兄弟がテーブルの向こう側から冷たい視線を彼女達の手元のレモンケーキに投げかけていた。大人のまなざしだ、と僕は思う。ビールを手にしたおじさんやおじいさんに囲まれ、つまらなさそうにお茶をすすっている彼。その頃の僕にとって、彼こそが大人の定義だった。19歳。お茶をすすりながら中空を眺め、時々黙って冷たい視線を誰かになげかける、そんな存在。それ以外は大人になりすぎた大人でしかなかった。あんたほんとにレモンケーキ好きねと伯母さんが僕に言い、女の子達が声を上げて笑う。水分のないケーキを飲み込めずにいた僕は、モソモソと返事をする。落ち着いてゆっくり味わいなさいと伯母さんは言い残して台所へ行ってしまった。違う。僕は、これはレモンケーキではない、と言いたかった。それを言い放ってしまえば女の子達にかけられた魔法も解くことができるのに。味わいなんて、こんなもの。僕はテーブルの向こう、大人になりすぎた大人たちのまんなか、誰よりも正しく大人に見える彼が飲んでいるお茶でこのモソモソする小麦粉の塊を一息に飲み下したい。おとなになりたい。それなのに、僕の目の前には氷が溶けて薄くなったカルピスが入ったグラスと、欲張って取ってしまったレモンケーキがもう一つ。テーブルのこちら側は、甘い見せかけで満ちていた。

夜になって大人になりすぎた大人たちの宴会はさらに騒がしくなって、僕はテレビをみるのをあきらめて縁側で缶のレモンティーを飲んでいた。しばらくして従兄弟が出て来て隣で瓶ビールを開けて、あぁつかれるね、とまずそうにひとくち飲んだ。もう片方の手にはレモンケーキ。飲むかと瓶を差し出されて断ると、食うかともう片方の手を差し出した。それも断った。彼はへぇ、と言ってレモンケーキにかじりついた。それは僕がさきほど食べるのをあきらめてこっそり仏壇に戻したものだ。ビールを無理して飲みながらお菓子を食べている彼よりも、大人になりすぎた大人たちに囲まれてお茶を飲んでいたときの彼の方がなぜか大人に見えて、僕は少しがっかりしながらも、さっきより彼を近しく感じる。これいつも思うけどおいしくないね、彼がモソモソと言った。これはレモンケーキではない。僕が言いきれなかった呪文を言うと彼が笑って、来年こそはレモンケーキに手をつけないと二人で固く誓った。

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