アメリカのフォンダン・オ・ショコラ

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製作年: 2013

サイズ: 直径8cm

材料: チョコレート、上新粉、ヘーゼルナッツパウダー、グラニュー糖、バター、生クリーム、卵

価格: ¥500

パーシャがソーホーに引っ越すというので手伝いに行った。すでに数人が来ていて、エリザベスストリートの豪華な部屋に、トラックから荷物を運び上げている。僕に渡されるのはこまごまとしたものばかりで、パーシャは気を使ってくれているようだけどそれなら呼ばなくて良いのにと思いながらぼんやり階段の上り下りを繰り返していた。夜の12時過ぎに作業が一段落ついて、バルサザールに夜食にゆく。パーシャは生ガキとワインを人数分頼んだ。ベサラマティ!ファルシ語で乾杯をする。パーシャもサラと同じく両親がイラン出身のアメリカ人で、学生なのにとても裕福な暮らしをしていた。皆にディレッタントとからかわれていて、いつもふざけてファルシ語の下品な言葉を僕におしえてくれた。

一通り新しい部屋の話題で盛り上がった後、みんながタバコを吸いに表に出ていき、タバコは吸わないパーシャと何も吸わない僕が残った。パーシャが生ガキの最後を飲み込んで、転んだ華奢な貴婦人のスカートみたいな器に殻をもどした。もう少し何か食べたいと彼がメニューをとったので、僕もビールとデザートを頼むことにした。気づけば側に来ているウェイトレスに、これは?と指差す。fondant au chocolat coeur coulant。ジェラールがここにいれば聞けるけど、彼は反肉体労働主義なので引っ越し作業なんかもってのほかだ。おいしいよ、あたたかいチョコレートケーキだ。パーシャが代わりに答えた。10分きっかり経ったころ美しくヒビが入ったケーキが届けられた。上にのったバニラアイスは既に溶けはじめている。溶ける前に食べなよ。言われるまでもなく僕がナイフでヒビをなぞると、ケーキは崩れて中から漆のようなチョコレートが流れ出た。一口大に切り分けた生地にソースをからめ、フォークに残された僅かな隙間でアイスクリームをすくい、口に運ぶ。熱くて冷たい!オキナワには、こんなお菓子なかったろう。僕はアラジンのポーズを適当に真似て王様にお辞儀した。

来週、大使館に面接にいくよ。頭を悩ましげな角度に傾けてパーシャが言った(そうだ、アラジンは彼だった)。僕はフォークを右手にもったまま、左手でステラを口に運ぶ。いまの動作は不自然だったかな、と思いながら。ニニとパーシャが結婚について話していることはみんな知っていた。ニニの父親はアルゼンチンからの不法移民で、彼女はアメリカの市民権を持っていない。永住権を獲得するチャンスが子供の頃一度あったけれど、彼女が言うには父親が「ヘマした」ためにダメになったそうだ。パーシャもニニも友だちだけど、二人の結婚は本気に見えなかった。パーシャが永住権のことばかり言っていたからかもしれない。そんなに急がなくてもいいのにと思っていた。ニニは、今まで一度もアメリカ国外に出たことがないんだ、出たら戻って来れないからね。だから、どうしても永住権をとって欲しい。アルゼンチンにおばあさんがいて会いに行きたいんだって。結婚したら二人で遊びに行こうと話してる。なんなら向こうに住んでも。でもそんな簡単な問題じゃなくていろんなことが…。ケーキはあっという間になくなった。ほんとに好きなの?と割り込んで聞く訳にもいかず、ぼんやりと溶けたバニラとチョコレートソースの水たまりをナイフで丁寧にかき回してみるけど、マーブル模様ができるまえに白と黒が混ざってしまう。ビールを一口飲んで、急にとてもイライラしだして、僕は実はパーシャとニニが結婚話を始めたことにすこし怒っていたことを思い出した。理由は幾つかあって、ただでさえ少ない友だち二人が遠くへ行ってしまうかもしれないこと、そして僕に結婚というオプションが用意されていないこと。僕自身がこの街を離れざるをえないかもしれないという不安に襲われてばかりいたこと。こういう話を聞く度にその不安は手に負えなくなって、無表情になってしまう。

興味ない話してるかな。ところで、お菓子とビールって、合うの?そもそもビール好きだったっけ、君。パーシャが聞いた。そんなに合わない。でも、舌の上に残った甘さがビールの苦さと炭酸に反応して、口の中に氷が出来上がるようなキンとした感覚を残していくことがときどきあって、その反応が起こると、生きてて良かったなって思える。それに、組み合わせが良くなきゃサマセット・モームだってそんな名前の小説書かない。そう言うとパーシャが、はっ、と笑う。僕を苛つかせ、安心させる笑顔。『お菓子とビール』ってシェイクスピアからの引用で、実際の味の組み合わせとは関係ないんじゃないかな。皮肉がきいてて面白い小説だよ、僕は彼の作品中一番好きだ。これから読む予定なんだ、と僕が返すと、ごめんよマイボーイ、とパーシャがお辞儀をした。その笑顔を見ながらビールを飲むと舌の上で氷がつくられて、すこし焦って、このファッキンディレッタントめ、と声にだしてみた。パーシャが嬉しそうに右の眉毛をへの字に上げる。皆がタバコから戻ってきて、もう一本頼もうかと、パーシャが空のボトルを持ち上げた。

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