月別アーカイブ: 2014年1月

蜂蜜君のマドレーヌ

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製作年: 2014

サイズ: 直径8cm

材料: 蜂蜜、レモン、薄力粉、グラニュー糖、バター、サワークリーム、卵

価格: ¥400

小学校四年生の頃、クラスに薬ちゃんと呼ばれていた男の子がいた。細身で背が高くて色白だったけど特別病弱だった訳でもなくて、本当はクリスという名前で、いじめっ子の元気がその名をもじって薬ちゃん薬ちゃんと呼び始め、何人かがそれに従うようになっていた。その頃僕は首里に住んでいて、何か病気を煩って本島の病院に入退院を繰り返す母の世話をするために、父も一緒に家族で島を出て那覇に住んだ、不思議で不安定な時期だった。ある日掃除の時に元気が、薬ちゃんちりとり取ってと言う。薬ちゃんはちりとりを手に取り、それを迷うことなくまっすぐ元気に投げつけた。ぼくの、なまえは、クリスだ!尻餅をついてあっけにとられた元気と、しんとした教室。まもなく元気が両手両足振り回しながら薬ちゃんに突進する。二人は放課後職員室に呼び出されて、薬ちゃんは迎えに来た母親と車で帰った。元気と僕は家が近くて、だいたい一緒に帰る。職員室から出てきた元気とふたりで薬ちゃん親子を眺めていた。薬ちゃんの母親はとても背の高い人で、その時初めて薬ちゃん一家は父親ではなく母親がアメリカ人だと知った。母親は薬ちゃんに向かって英語で何か話しかけていたけど、薬ちゃんは何も言わずに先を歩き、車に乗り込む。母親の言うことのうち、ハニー、ハニーと繰り返す言葉くらいしか僕にはわからない。薬ちゃんてあだな禁止された、と元気が言った。

転んでも只では起きないのがいじめっ子の性で、母親と一緒にいる姿を元気に目撃されたハニーは、次の日から蜂蜜君と呼ばれるようになる。ところがそのあだなが嬉しかったのか、元気と蜂蜜君はそれから少しずつ仲良くなっていた。僕は少し寂しかった。十月。母は八月の終わりに退院して、みたところ普通の生活を送っていた。誕生日が近づいていて、今年はパーティーを開きたいと母に言う。ショートケーキはもちろん、チキンにピラフ、そして来てくれた友達にあげるお菓子の詰め合わせ。ポッキーとか、スニッカーズ、チロルチョコ、フーセンガム…。島の暮らしのなかでは考えられなかった都会のパーティー。去年の誕生日、母は入院していて、父は自分が好きなチーズケーキを買ってきた。その無神経さにすっかり機嫌を悪くしたあの日から一年。誕生日は小学校の運動会の日だった。日を変えたら?母は心配そうに言ったけど、僕は誕生日の日付がとても大切に思えたので、かたくなに拒んだ。

誕生日当日。運動会が終わり、家には想像した通りの料理とショートケーキ、そしてお菓子がならんでいた。母親ってこんな存在だったんだと数ヶ月の不在のあとに僕は気づいて嬉しくて声に出そうとしたけど、おめでとうと先に言われて調子が狂ってただ頷いた。七時になっても誰も友達は来なかった。しびれを切らして元気に電話すると、今日は疲れたから…と元気らしくない歯切れの悪さ。僕は電話を切って、自分の部屋に入ってベッドに潜りこんた。眠気はそう都合良く訪れるものでもないらしく、まったく眠くならずにただ布団の暗がりにいた。だんだん暑くなってくる。八時、母が部屋のドアを開ける。慰めもケーキもいらないと布団の下にいると、友達来たよ、と言われた。今起きたとでも言うように背伸びをしてベッドから出て、玄関に向かう。蜂蜜君だった。パーティーのはずが誰もいない我が家が恥ずかしくて、でも蜂蜜君はあらかじめそれをわかっていたように、散歩しない?と大人みたいなことを言う。僕は頷いて蜂蜜君の茶色いスポーツ刈りを追いかける。

誰も来なかったんだけど!金城町の石畳を暗がりのなかのぼりながら、僕は大きな声で言った。言ってみたけど実はもうそれもどうでもよくて、蜂蜜君が来てくれたことが嬉しかった。運動会だし当たり前だから!蜂蜜君もおなじくらい大きな声で答える。石畳を一番上までのぼり、一息。丘の上では大きなお城が復元工事を終えようとしていた。お城は見えない。もうすぐ出来るね、と僕はつぶやいた。真っ赤なお城なんか、こんな古くて灰色の町に似合うのかな。蜂蜜君が言った。再び石畳を下りはじめた時、僕は前から聞きたかったことを思い切って聞いてみる。なんで、薬は駄目で蜂蜜はいいの?名前をからかわれるのがいやだったんだ、それに薬より蜂蜜のほうがおいしいでしょ!そう言って蜂蜜君が立ち止まってリュックに手を突っ込み、マドレーヌを取り出した。これ、あげる。みんなに蜂蜜君って呼ばれてるってママに言ったら、面白がってマドレーヌ焼いてくれた。運動会のおやつの残りなんだけどね…蜂蜜いっぱい入ってておいしいから。ママという言葉にドキドキしながら、僕はそれを受け取った。お菓子はうちに腐る程あるんだけどなと思いながらも、蜂蜜のいいにおいがする!と言った。蜂蜜君が頬を赤らめて、自分のこと言われたみたいでびっくりしたと言うので二人で笑った。金城町の黒猫が、嗅覚というよりも直感で食べ物を嗅ぎ分け近づいてきたけど、蜂蜜の匂いに興味を失ったのか、まぁと鳴いて茂みに戻って行った。黒猫が横切らないで戻って行ったよ、よかったね!弱々しい街灯の下、蜂蜜君の目が濃緑に光って奇麗だった。

十歳の一年が始まって、もっと蜂蜜君と仲良くなれると思っていたのに、五年生に上がる頃、母の病気が完治したことで僕たち一家は島に戻ることになる。蜂蜜君ともお別れだった。マドレーヌ、平和通りで売ってるやつより全然美味しかったよと言い忘れていたことを伝えて、グッバイ、ハニー。と覚えたての英語でさよならをする。蜂蜜君はなぜか少しいやそうな困った笑顔を浮かべて、じゃあね、と手を振った。島に戻ってしばらく経った頃、首里城は復元工事を終え、くすんだ町の丘の上に不釣り合いなハイビスカス色の姿を現した。

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