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レッドヴェルヴェットとふたつの紅いまんじゅう

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製作年: 2012

サイズ: 直径6cm
材料: 林檎、マスカルポーネ、バターミルク、ワインビネガー、バニラエッセンス、薄力粉、ココアパウダー、グラニュー糖、塩、バター、卵

価格: ¥400

レッドヴェルヴェットの生地に食紅を入れてハンドミキサーで混ぜ、紅い生地に仕上げていたときのこと。紅いお菓子って他になにかあったっけ…と記憶をめぐらせ、紅白まんじゅうの紅いやつ、と思い出す。最後にもらったのは、中学校の卒業式だっただろうか。

南の島、三月。式が終わったあと、男子数人で保健室に集まってぼんやりしていた。友人Yはとなりで僕の知らない曲を口笛で吹いていて、ブリーがベッドに寝そべってジャンプを読み、もう二人は記念にと身長を測りあっている。僕は外の冬らしくも春らしくもない沖縄の空を眺めていた。口笛が止まる。そういえば、とYが鞄から一枚のCDを取り出した。忘れないうちに返さないと、と僕に手渡したのはスピッツの『インディゴ地平線』。どうだったかと聞くと、なんだか良くわかんなくてほとんど聴かなかった…と正直な返事。「インディゴ地平線」とか良くなかった?僕が聞くと、相変わらずセンチメンタルだな、と意地悪に笑う。こんな会話、前にもした。

二年の秋。部活が終わり、Yが着替えながら口笛を拭いていた。スピッツの「ルナルナ」。『ハチミツ』を買ったらしく、ここ数日、ずっとこれだ。メロディーにあわせて頭を揺らしながら汗に濡れたTシャツを脱ごうとして絡まって、寝ぼけたゴーストのようにうごめく後ろ姿、背骨の線。帰り道、アルバム貸して、とYに言った。それから10日程たって、Yが僕にそのアルバムを貸してくれた。それからもう10日して、返した。どうだった?面白かった!僕は正直に返事をした。どれが良かった?と聞かれ、ワイかなと答えたら、センチメンタルだねと笑われただけだった。

あれから、もう一年半。永遠に続く苦行みたいに思えたバスケ部の練習も、いつの間にかに終わっていた。暑いね!とYが学ランを脱いで白いTシャツ一枚になる。なんとなく脱がれた学ランのボタンを数えながら、確かに三月にしては随分暑いなと考えていた。お腹すいたね!Yが言う。15才はかくも忙しい。式でもらった紅白まんじゅうを手に、Yはしばらく悩み、僕を見る。おれの紅いのと、そっちの白いの交換しない?紅いお菓子って抵抗があって…そうして彼はふたつの白いまんじゅうを、僕はふたつの紅いまんじゅうを手に入れた。両手にした紅いまんじゅうを顔のところまで持ち上げると、そういえばいつもそんな風に顔を赤くしていたね、とベッドの上からブリーがからかった。ほんとに、と周りも笑う。そうそう、Yの妹の時も!みんなが言い合って、僕は申し訳なくなって笑う。ブリーともさよならか、と思うと少し切なくなった。英語の授業でいじめっ子の英訳を教えられたその日、彼のあだ名はブリーに決まった。いつの間にかに、どちらかと言えばいじめられる側の僕も、ブリーと呼んでいた。

近くの文房具屋で買った甘いアップルティーと紅いまんじゅうを交互に口に運びながら、僕はみんなの会話を聞いている。保健室で飲み食いなんて初めてだったけど、それ以外はいつもと変わらない。でも、これで最後。僕は那覇の高校に進学する。なんか寂しくなるね。思わず口に出して恥ずかしく思ったけれど、みんなきょとんとしていた。そうかな?…そうだった、彼らは島の高校に進学する。出て行くのは僕だけだ。一人減ったくらい、そんなに変わらない。Yが口一杯に白いまんじゅうを頬ばってもごもごしている。全く何言ってるのかわからない!ブリーがYに向かってジャンプを放り投げた。バスケットボールのように、ジャンプはYの両手にぼんと納まる。僕には聞こえた。センチメンタル!

外が暗くなって、帰ろうか、とみんなで立ち上がる。僕は残った紅いまんじゅうとCDを鞄に入れた。校門の先に広がるインディゴの空。この島に地平線は存在しない。低い山とサトウキビ畑のギザギザと、水平線だけが、空と地球を区切っている。目の前には白Tシャツの背中。つまづくふりはできない。口の中に、紅いまんじゅうの甘さをかすかに思い出した。センチメンタルかなぁ、そんなことを考えながら、サトウキビ畑とフクギ並木にはさまれた道、ジャンプを奪い合うブリーとYを追って、路線バスが放置された空き地の角でじゃあねと別れた。風が起こり、間もなく強い逆風になる。ひとりで手を広げたりしたけど、案外からだは丈夫に出来ていた。

高校に上がり、Yは『フェイクファー』を聴いただろうか。聴いてたらいいな、と思う。二曲目あたりで、交わした何でもない会話を思い出したりしたらいいのに、と。

蜂蜜君のマドレーヌ

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製作年: 2014

サイズ: 直径8cm

材料: 蜂蜜、レモン、薄力粉、グラニュー糖、バター、サワークリーム、卵

価格: ¥400

小学校四年生の頃、クラスに薬ちゃんと呼ばれていた男の子がいた。細身で背が高くて色白だったけど特別病弱だった訳でもなくて、本当はクリスという名前で、いじめっ子の元気がその名をもじって薬ちゃん薬ちゃんと呼び始め、何人かがそれに従うようになっていた。その頃僕は首里に住んでいて、何か病気を煩って本島の病院に入退院を繰り返す母の世話をするために、父も一緒に家族で島を出て那覇に住んだ、不思議で不安定な時期だった。ある日掃除の時に元気が、薬ちゃんちりとり取ってと言う。薬ちゃんはちりとりを手に取り、それを迷うことなくまっすぐ元気に投げつけた。ぼくの、なまえは、クリスだ!尻餅をついてあっけにとられた元気と、しんとした教室。まもなく元気が両手両足振り回しながら薬ちゃんに突進する。二人は放課後職員室に呼び出されて、薬ちゃんは迎えに来た母親と車で帰った。元気と僕は家が近くて、だいたい一緒に帰る。職員室から出てきた元気とふたりで薬ちゃん親子を眺めていた。薬ちゃんの母親はとても背の高い人で、その時初めて薬ちゃん一家は父親ではなく母親がアメリカ人だと知った。母親は薬ちゃんに向かって英語で何か話しかけていたけど、薬ちゃんは何も言わずに先を歩き、車に乗り込む。母親の言うことのうち、ハニー、ハニーと繰り返す言葉くらいしか僕にはわからない。薬ちゃんてあだな禁止された、と元気が言った。

転んでも只では起きないのがいじめっ子の性で、母親と一緒にいる姿を元気に目撃されたハニーは、次の日から蜂蜜君と呼ばれるようになる。ところがそのあだなが嬉しかったのか、元気と蜂蜜君はそれから少しずつ仲良くなっていた。僕は少し寂しかった。十月。母は八月の終わりに退院して、みたところ普通の生活を送っていた。誕生日が近づいていて、今年はパーティーを開きたいと母に言う。ショートケーキはもちろん、チキンにピラフ、そして来てくれた友達にあげるお菓子の詰め合わせ。ポッキーとか、スニッカーズ、チロルチョコ、フーセンガム…。島の暮らしのなかでは考えられなかった都会のパーティー。去年の誕生日、母は入院していて、父は自分が好きなチーズケーキを買ってきた。その無神経さにすっかり機嫌を悪くしたあの日から一年。誕生日は小学校の運動会の日だった。日を変えたら?母は心配そうに言ったけど、僕は誕生日の日付がとても大切に思えたので、かたくなに拒んだ。

誕生日当日。運動会が終わり、家には想像した通りの料理とショートケーキ、そしてお菓子がならんでいた。母親ってこんな存在だったんだと数ヶ月の不在のあとに僕は気づいて嬉しくて声に出そうとしたけど、おめでとうと先に言われて調子が狂ってただ頷いた。七時になっても誰も友達は来なかった。しびれを切らして元気に電話すると、今日は疲れたから…と元気らしくない歯切れの悪さ。僕は電話を切って、自分の部屋に入ってベッドに潜りこんた。眠気はそう都合良く訪れるものでもないらしく、まったく眠くならずにただ布団の暗がりにいた。だんだん暑くなってくる。八時、母が部屋のドアを開ける。慰めもケーキもいらないと布団の下にいると、友達来たよ、と言われた。今起きたとでも言うように背伸びをしてベッドから出て、玄関に向かう。蜂蜜君だった。パーティーのはずが誰もいない我が家が恥ずかしくて、でも蜂蜜君はあらかじめそれをわかっていたように、散歩しない?と大人みたいなことを言う。僕は頷いて蜂蜜君の茶色いスポーツ刈りを追いかける。

誰も来なかったんだけど!金城町の石畳を暗がりのなかのぼりながら、僕は大きな声で言った。言ってみたけど実はもうそれもどうでもよくて、蜂蜜君が来てくれたことが嬉しかった。運動会だし当たり前だから!蜂蜜君もおなじくらい大きな声で答える。石畳を一番上までのぼり、一息。丘の上では大きなお城が復元工事を終えようとしていた。お城は見えない。もうすぐ出来るね、と僕はつぶやいた。真っ赤なお城なんか、こんな古くて灰色の町に似合うのかな。蜂蜜君が言った。再び石畳を下りはじめた時、僕は前から聞きたかったことを思い切って聞いてみる。なんで、薬は駄目で蜂蜜はいいの?名前をからかわれるのがいやだったんだ、それに薬より蜂蜜のほうがおいしいでしょ!そう言って蜂蜜君が立ち止まってリュックに手を突っ込み、マドレーヌを取り出した。これ、あげる。みんなに蜂蜜君って呼ばれてるってママに言ったら、面白がってマドレーヌ焼いてくれた。運動会のおやつの残りなんだけどね…蜂蜜いっぱい入ってておいしいから。ママという言葉にドキドキしながら、僕はそれを受け取った。お菓子はうちに腐る程あるんだけどなと思いながらも、蜂蜜のいいにおいがする!と言った。蜂蜜君が頬を赤らめて、自分のこと言われたみたいでびっくりしたと言うので二人で笑った。金城町の黒猫が、嗅覚というよりも直感で食べ物を嗅ぎ分け近づいてきたけど、蜂蜜の匂いに興味を失ったのか、まぁと鳴いて茂みに戻って行った。黒猫が横切らないで戻って行ったよ、よかったね!弱々しい街灯の下、蜂蜜君の目が濃緑に光って奇麗だった。

十歳の一年が始まって、もっと蜂蜜君と仲良くなれると思っていたのに、五年生に上がる頃、母の病気が完治したことで僕たち一家は島に戻ることになる。蜂蜜君ともお別れだった。マドレーヌ、平和通りで売ってるやつより全然美味しかったよと言い忘れていたことを伝えて、グッバイ、ハニー。と覚えたての英語でさよならをする。蜂蜜君はなぜか少しいやそうな困った笑顔を浮かべて、じゃあね、と手を振った。島に戻ってしばらく経った頃、首里城は復元工事を終え、くすんだ町の丘の上に不釣り合いなハイビスカス色の姿を現した。

ネイチャーボーイ、ショートケーキ

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製作年: 2013

サイズ: 直径8cm

材料: 苺、薄力粉、上白糖、キルシュ、バター、生クリーム、卵

価格: ¥400

2002年12月。沖縄に里帰りして、ひょんなことでネイチャーボーイとクリスマスイヴを過ごすことになった。僕は帰郷しても友人と連絡を取りたくなくて、彼はとくにクリスマスに興味がないように見えた。たしか僕は21くらいで、ネイチャーボーイはひとつ年下だった。教えられた首里の住所に辿り着き、彼の部屋のドアをノックする。すぐに開いて彼が現れ、そのまま二人で近くの居酒屋に行く。そこはクリスマスとは縁がなくて、作業着を着た男たちが2組いるだけだった。お店のおばさんとネイチャーボーイは顔なじみのようで、テーブルに来る度に言葉を交わしている。沖縄料理をたくさん食べて、泡盛をたくさん飲み、僕たちが帰り支度を始めると、はいこれサービス、とおばさんが苺のショートケーキを箱に詰めて持ってきてくれた。僕たちは酔っぱらっていてお互いの話に夢中で、おばさんがこっそりウインクをしたことにも気づかずに、ありがとうもままならない。

覚束ない足取りで、お互いに寄りかかりながらケーキの箱をさげてネイチャーボーイのアパートに戻って、暗い部屋のなか『忘れられない人』を観た。完璧であるとは思わないけど、自分にとってとても意味のある映画だから、あまり人とは共有したくないけれど…と彼は言った。両親に捨てられて孤児院で育った、心臓が弱くシャイなクリスチャン・スレイターと、男にふられてばかりのマリサ・トメイ。デトロイトのダイナーで働くふたりの恋。デトロイトの街並み、夜の雪景色。陰鬱なはずなのにとても美しい街は、僕が夢見ていたアメリカの風景とどこか重なる様な気がした。まるでエドワード・ホッパーの絵みたいだった。ソファの隣でネイチャーボーイは初めての匂いがするタバコを吸っていて、吸うたびにパチ、パチ、と線香花火のような音をたてた。そのタバコの甘い匂いにつつまれて僕は眠りにおちた。夢のなかで、ヒヒの王となったクリスチャン・スレーターが動物たちを従え、上半身裸でジャングルをかけめぐる(胸には勲章の様な縫い傷)。ライオンでさえひれ伏している!目を覚ますと、暗い物語はどんどんその暗さを増し、反比例するように風景だけが美しさを増していた。すぐにまた眠ってしまう。いつの間にかに木々が生い茂るデトロイトは春を迎え、そこかしこにパチ、パチと線香花火の花が咲き始め、ジャングルの動物たちが押し寄せる。パチ、パチ、パチ、パチ。美しく輝くデトロイトの森に、ネイチャーボーイがいた。裸の上半身には傷もなく、両腕をたくましく上げている。そのときはじめて両手首に深い傷がいくつもあることに気づいて、僕は彼が生きて街に戻ってきたことに喜び、動物たちも立ち上がり優しい嘘みたいな拍手を送る。パチ、パチ、パチ。ネイチャーボーイの、実際には決してみせることのない、柔らかな笑顔。横を見るとマリサ・トメイが涙を流しながらタバコを吸っている。視線の先、巨木の上方につくられた王座はシボレーの助手席でできている。そこで、クリスチャン・スレイターがすやすやと眠っている。パチ、パチ。

クリスチャン・スレイターが永遠の眠りにつき、ナット・キング・コールの音楽で映画が幕を閉じるころ僕は目を覚ました。半分以上眠っていたことが気まずくて彼の方に目を向けることができない。彼はタバコを吸っていた。なるほど…、と言葉を濁して(とてもいい夢を見せてくれたんだけど)、それからおばさんがくれたケーキをつまみに泡盛をのんだ。生クリームをフォークで少しだけすくい口に運ぶ。雑な甘さ。スポンジにフォークをさすと、じんわりとキルシュがしみ出して、それがすっぱい苺と甘すぎる生クリームとよくあう。そして、おいしくもない泡盛の味を打ち消してくれる。あっという間に平らげた。ネイチャーボーイは苺をフォークでいじっていたけれど、僕の様子をみて皿をこちらによこして、たばこに火をつけた。パチ、パチ。「そういえば、いちごのショートケーキって珍しいな」そうかな、と僕が言うと「だいたいパインとか入っていない?」と彼は言った。どこの南国だ、と僕は笑った。僕のうちでは父が生クリーム嫌いで、クリスマスはいつもチーズケーキかアイスクリームケーキだったことを思い出した。思い出しただけで、言わなかった。それから、泡盛でとびきり酔っぱらって僕たちのクリスマスイヴは終わった。十年経って、彼の顔は記憶の向こうにどんどんと薄れて行くけれど、あのつまらない映画の夢は、どういうわけか僕のなかに留まり続けた。あの夢のなか、デトロイトのジャングルはいまも線香花火の花と、その甘い匂いで満ちている。

これはレモンケーキではない

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製作年: 2013
サイズ:  7.5×3.5cm
材料: レモン、リモンチェッロ、クレームエペス、薄力粉、強力粉、アーモンドパウダー、ベーキングパウダー、グラニュー糖、粉糖、塩、無塩バター、卵
価格: ¥300

子供の頃は旧盆が大好きで、仏壇の前に山の様に盛られるお菓子たちにただただ興奮していた。かるかん、マドレーヌ、くんぺん、こー菓子、そして、レモンケーキ。料理や果物と一緒に、それらがあふれるようにお供えされている。レモンケーキ。銀色のモダンな包装と、お菓子としては不自然なほどに艶やかな半球体。そのケーキは僕を夢中にさせる魔法を持っていた。おいしそう!毎年そう思って食べて、毎年僕は残念な気持ちになる。ホワイトチョコレートの様な感触だけれども味のないコーティング、生気をそぐようにぱさぱさの生地。なにより、甘酸っぱいレモンの味がしない。つまらない味がする。魔法ははじけて後悔だけが残り、切なくなった僕は二度とレモンケーキなんか食べないんだと誓う。

でも僕は翌年もまだまだ子供で、旧盆がくればまた嬉々としてその銀色の包みに甘い欲望の視線をトロンと向ける。レモンケーキ!同じ魔法にかかった従姉妹たちがトロンとした目で大袈裟に喜んで、僕もレモンケーキ!とつい声を上げ、それを二口で平らげる。そして、あの切なさに襲われる。口のなかでモソモソといつまでも消えないつまらないケーキがいる。女の子達はおいしいおいしいと相変わらず声を上げてレモンケーキを食べているので視線をそらすと、大学生の従兄弟がテーブルの向こう側から冷たい視線を彼女達の手元のレモンケーキに投げかけていた。大人のまなざしだ、と僕は思う。ビールを手にしたおじさんやおじいさんに囲まれ、つまらなさそうにお茶をすすっている彼。その頃の僕にとって、彼こそが大人の定義だった。19歳。お茶をすすりながら中空を眺め、時々黙って冷たい視線を誰かになげかける、そんな存在。それ以外は大人になりすぎた大人でしかなかった。あんたほんとにレモンケーキ好きねと伯母さんが僕に言い、女の子達が声を上げて笑う。水分のないケーキを飲み込めずにいた僕は、モソモソと返事をする。落ち着いてゆっくり味わいなさいと伯母さんは言い残して台所へ行ってしまった。違う。僕は、これはレモンケーキではない、と言いたかった。それを言い放ってしまえば女の子達にかけられた魔法も解くことができるのに。味わいなんて、こんなもの。僕はテーブルの向こう、大人になりすぎた大人たちのまんなか、誰よりも正しく大人に見える彼が飲んでいるお茶でこのモソモソする小麦粉の塊を一息に飲み下したい。おとなになりたい。それなのに、僕の目の前には氷が溶けて薄くなったカルピスが入ったグラスと、欲張って取ってしまったレモンケーキがもう一つ。テーブルのこちら側は、甘い見せかけで満ちていた。

夜になって大人になりすぎた大人たちの宴会はさらに騒がしくなって、僕はテレビをみるのをあきらめて縁側で缶のレモンティーを飲んでいた。しばらくして従兄弟が出て来て隣で瓶ビールを開けて、あぁつかれるね、とまずそうにひとくち飲んだ。もう片方の手にはレモンケーキ。飲むかと瓶を差し出されて断ると、食うかともう片方の手を差し出した。それも断った。彼はへぇ、と言ってレモンケーキにかじりついた。それは僕がさきほど食べるのをあきらめてこっそり仏壇に戻したものだ。ビールを無理して飲みながらお菓子を食べている彼よりも、大人になりすぎた大人たちに囲まれてお茶を飲んでいたときの彼の方がなぜか大人に見えて、僕は少しがっかりしながらも、さっきより彼を近しく感じる。これいつも思うけどおいしくないね、彼がモソモソと言った。これはレモンケーキではない。僕が言いきれなかった呪文を言うと彼が笑って、来年こそはレモンケーキに手をつけないと二人で固く誓った。

遅れてきたバレンタインデー

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製作年: 2012
サイズ: 直径6x高さ7cm
材料: 苺、ダークチョコレート、薄力粉、アーモンドパウダー、ベーキングパウダー、グラニュー糖、無塩バター、卵、水飴、生クリーム
価格: ¥400

僕はいつからかバレンタインデーというものが苦手で興味がなくて、どうしようかと考えた末に、自分でケーキを焼いて周りのひとたちに渡してしまえば良いのかもしれないと考えた。2011年の2月14日、僕はホワイトチョコレートと苺のケーキを焼いた。バレンタインへの抵抗を表明してのホワイトチョコレートだったけど誰もそんなこと気にかけるはずもない。表面が黄金色の奇麗なケーキだった。おいしそうだと皆は言ってくれたけど、ナイフを入れるとどろりと液体が漏れだした。優しい皆はフォンダンショコラみたいだと言ったけれど、そのケーキは既に冷めていて、垂れだしたものは生焼けの生地でしかなかった。みんなそれでもとても優しいので美味しい美味しいと食べてくれた。それから僕は毎週の様にケーキを焼いては誰かにあげていた。

2013年2月16日。バレンタインは気がつくと終わっていた。結局興味のないイベントはそんな風に過ぎてゆく。週末の洋菓子モームに向けて何を焼こうかと考えたけど何も思いつかず、一応バレンタインらしくダークチョコレートと苺のカップケーキを適当に作ってお店に持っていった。退屈なケーキだったので、カウンターの見えるような見えないようなところに置いておいた。バレンタインに興味がない人間が作ったバレンタインのための数日遅れのケーキだったので、申し訳なかった。

僕のバレンタインへの興味のピークは多分中学生の頃。二年生の時に、友人Yの妹からチョコレートをもらったことがあった。友人Yの妹は、女友達を引き連れてふたりで現れた。そんなものには縁がないと思っていた僕はビックリしてしまい、別に友人Yの妹のことを気にした事もなかったから、顔を真っ赤にさせてもごもごとそれを受け取った。チョコレートは奇麗なラッピングがなされていて、家に帰り、ぱりっとした包み紙とホイル紙を剥がして噛むと、中から酸っぱい苺のソースが溢れて舌にふれた。とがめられるような美味しさだった。その日以来友人Yの妹が僕を避けはじめた。すれ違う時は顔を真っ赤にさせていた。僕もそうされる度に悔しくて顔を真っ赤にさせた。するとその兄である友人Yがいじわるに声を上げて笑うので、僕もなるべく友人Yの妹を避けるようになった。3月14日になった。僕が育った場所は小さな島で、おしゃれなチョコレートが買える場所なんて限られている。そんな場所恥ずかしくて行けないから、僕は近所の商店を幾つもまわって、ちいさなチョコレートをたくさん買った。Reese’sのピーナツバターカップ、チロルチョコ苺味、包み紙が金色のKissチョコ。それでも足りない気がして、居間のお菓子箱から無味乾燥な透明の包み紙にくるまれたピーナツチョコをいくつか加えた。僕はそれらを適当な箱に入れて、可愛いような気がしていたドラえもんのラッピングペーパーで包んだ。友人Yの妹に渡すように、と友人Yの妹の友達に渡した。放課後、友人Yは大人びた真っ黒なラッピングペーパーに包まれた小さな箱を僕に見せる様な見せない様なそぶりでどこかへ行ってしまった。きっと中にはとびきり苦いダークチョコレートが入っている、そんな包み紙。一緒に買いにいこうと言えば良かった、と後悔したけど遅かった。もうあと一年で彼とも会えなくなるだろう。

友人Yの妹はその後も僕を避け続けていた。あの時せめて直に渡しておけば、とふと思い出すけれど、何と声をかけて良かったのか、僕は今でもわからずにいる。そして、何と言われたか。友人Yの妹のことを思い出すと、彼女の顔よりも、彼女の兄である友人Yのいじわるな笑顔を思い出す。彼は自衛隊に入ったそうで、成人式以来会っていない。