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死の予感とアップルパイ

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製作年: 2014

サイズ: 一台直径25cm
材料: 林檎、シナモン、レモン、ヨーグルト、アーモンドパウダー、強力粉、薄力粉、グラニュー糖、カソナード、塩、バター、卵

価格: 一切¥400

2000年夏。闇夜のなかを走っていた新幹線は、間もなく東京駅に着く。反対側に向かう新幹線が彗星に過ぎ去って、低く続くビルから漏れる光は宇宙のチリみたいだった。イヤホンからはマドンナの「Drowned World」が流れていてた。街はにぶい銀色に沈んでいる。これが、東京。イヤホンを外しバッグに仕舞う。なかにはMDプレイヤーと数枚のMD、財布と『ナイン・ストーリーズ』。薄っぺらなショルダーバッグを斜めにかけて、ホームに降り立つ。東京に友達なんかおるん?うん、高校時代の…。ほんまかいな。ほんとです!…大阪の友人たちにはそう言ったけど、ネットを通して知り合った人に会いに来た。これから3日間、東京。指定された改札を出て周りを控えめに見回し、検討をつけて近づく。どちらの名前で声をかけたらいいのか…と躊躇して歩を緩めたら向こうが気づいてくれた。奇麗なグレーのTシャツが風に揺れ、僕は新幹線から見た夜景を思い出す。はじめまして、と言おうとしてやめた。こんばんは、と彼の化石のようなのど仏に視点をあわせて言う。エスというハンドルネームの男がすこし笑って、唇の左側が引きつるような屈折した笑みだったけど、悪くなかった。写真の姿よりもやせこけていて、思ったより背が高かった。

これが東京駅。あれが丸ビル…工事中だけど。ここが丸ノ内線入り口…こっちだよ。彼の標準語に少しに圧倒される。これが丸くない丸ビルですね。僕は敬語(いびつな訛りを隠す為のごまかしだけど)のまま。東京駅地下、人混みの迷路、エスさんのインディゴ色のジーンズをジグザグに追い、地下鉄に乗る。隣り合わせの席で手持ち無沙汰になり、これ読んでいるんですと『ナイン・ストーリーズ』を見せる。いつかエスさんがホームページに上げていたグラース・サーガの長い感想に触発されて『フラニーとゾーイー』から読みはじめて現在二冊目。読んだら感想聞かせてよ。地下鉄が止まり、エスさんが立ち上がったので後を追う。改札の外、ここが新宿、とエスさんが長い両腕を広げた。色とりどりのネオンが彼の頭上に浮かんでいて手品師のようだ。角をいくつか曲がり、地下の小さなクラブに入る。初めての二丁目、大学生ナイト。ジャネット・ジャクソンの「Together Again」が流れていた。入り口でもたついた僕はエスさんの姿を探す。ライトがホールを横切り、目の前にいた男の顔を照らす。僕は立ち止まる。ライトはステージの方へ流れすぐに真っ暗になって、驚いた顔は輪郭の残像だけを残して消えた。元気、と声を掛けようかと迷ううちに残像も消えた。マドンナの「American Pie」のリミックスがかかり、歓声があがる。ずいぶん雑なリミックスだった。ホールにひときわ伸びた白い前腕と上腕をつなぐロボットみたいな肘がエスさんだろう。二時頃にクラブを出て、歌舞伎町のカラオケに移動した。

すっかり酔ったエスさんがセブンスターを吸いながら「Papa Don’t Preach」を歌っていて、下弦の月のように広がり閉じる薄い唇を僕は眺めていた。上手いなぁと関心して聴きながら曲目から「American Pie」を探すうちに、気恥ずかしくなってオリジナルを入れてみたら予想以上に長い曲だったので、途中でマイクをエスさんに押し付けた。彼の歌を聴いていて「drinking whiskey in rye」だと思っていた歌詞が、「drinking whisky and rye」だったことに初めて気づく。ライ麦畑でウィスキーを飲むって意味じゃなかった。拙い英語力で想像していた歌詞世界が歪む。歌われる死とライ麦畑の風景は、とてもあっていた気がしたのに。窓の外で青白く明るくなっていく靖国通り、朝の澄んだ風景。明かりの消えたネオン、ビルの黒く輝く窓。アスファルトは彼のジーンズのように奇麗な重たいインディゴ色。煙草の煙、薄いカクテルの味、エスさんの歌声、寝不足のだるさと不思議な高揚感。きれいな街。これが、東京。目を閉じるとまぶたの裏がオレンジ色に熱くなってゆく感じがする。生まれた島の砂浜のようだけど少し違う砂浜に僕は寝転んでいて、波の音と近くで遊ぶ女の子の声を聞きながら、バナナを食べる魚について想像を膨らませている。That’ll be the day that I die, that’ll be the day that I die…砂浜の隣には立派なライ麦畑が広がり、若者たちがウィスキーを飲んで声を上げる、バイバイ、ミス・アメリカンパイ。夢のなかの僕はピストルを使って死んでしまうんだ、と客観的に夢を眺めていた。結末の前に、肩に触れられ、目を開く。五時、終了の時間。カラオケ屋を出て、早朝の新宿が目の前に広がる。ちょっと歩こうか。エスさんが言う。少しシャツが汗臭い気がしたけど、まだきっと大丈夫。少し眠ったからか、不思議と疲れはない。アメリカンパイって何ですか?歩きながら僕は聞く。さあ何だろうね、アップルパイとか?それなら、アップルパイは死の象徴とかですか?短い夢の余韻が残るなか、思わず口に出して少し恥ずかしくなる。僕の頭のなかでは、まだシーモアが寝転がっている。

あれが伊勢丹。あれがアルタ。新宿駅に、これが大ガード。信号が赤になり、立ち止まる。盗み見た横顔、滑らかな曲線を描く鼻の筋が、向こうのビルの曲線と重なる。彼がこちらを向き、あわてて視点をビルに移す。ああ、あれは安田火災海上本社…三角ビル。エスさんが極めて日常のように言う。この街には、三角という名のビルまである。アップルパイ、死というよりは死の予感じゃないかな。とエスさんが思い出したように答えた。バナナフィッシュを考えているときみたいな。そう、バナナフィッシュを考えているときみたいに、まだ死ぬかはわからないし生きるかもしれないような。

朝食なに食べようか。エスさんが聞いた。僕は彼の目を見て(やっと!)答える、アップルパイ。この時間にアップルパイ食べられるお店なんかあるかな。青白くひょろ長いエスさんを太陽の下で見るのは初めてだった。アスファルト色のジーンズ、この街の夜景みたいなグレーのTシャツ、ロボット、化石、下弦の月、三角ビル…。これが、東京!もうすぐ20歳、僕は信じられないくらい大人になりかけていて、世界は予感で溢れていた。二人でマクドナルドの脂っこいアップルパイを食べながら、僕はその予感を忘れずにいようと思う。その予感は、きっとすぐに消えてなくなる。アップルパイの鬱陶しいシナモンの香りや、誤訳して空想したライ麦畑の風景や、マドンナを歌う下弦の月や、シーモアとシビルが想像したバナナフィッシュみたいに。