よこしまな自由についてのケーキ

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製作年: 2013
サイズ: 25x9x8cm (ホール)
材料: ラム、黒糖、ダークチョコレート、小麦粉、アーモンドパウダー、ベーキングパウダー、グラニュー糖、無塩バター、卵
価格: ¥400 (1ピース3x9x8cm)

20代はじめの頃、僕はビールもワインも飲めずずっとカクテルばかり、主にキューバリバーばかりを飲んでいた。エキゾチックな名前とコーラとライムの組み合わせが好きだった。23歳の僕はニューヨークに留学していて、そこでもアルコールといえばかたくなにカクテルだけだったけれど、アメリカではキューバリバーと言っても通じなくて、友達のサラに聞いたらそれはラム&コークと言うのだと教えてくれた。なんて味気ない名前!そしてライムじゃなくてレモンが入っている。

夏休みのある夜、僕はサラと飲みに出かけ、僕はラム&コーク、サラはステラをボトルで飲んでいた。彼女はアメリカ生まれだったけれど、両親がイランの革命後アメリカに亡命して来たといつか言っていた。僕はその革命が何なのかわかっていなくて、なんとなく奇麗な人だなぁといつも彼女を眺めていた。その夜サラはどこか機嫌が悪くて僕が一杯飲み終わる前にステラを三本空けていた。四本目を頼む時、バーテンダーにステラ二本ちょうだいと言って出てきたうちの一本を僕に渡し、ベサラマティ、とイランの言葉で乾杯した。イランで大統領選があって最低の結果になったの、親戚が心配だけど連絡がとれない。よくわからないけどイランは革命があって自由になったんじゃないの、と無知な僕はぼんやり酔いのなかで聞いた。その頃の僕にとって革命すなわち自由だった。そんなよこしまな自由!とサラは笑った。その大人びた言葉が僕をさらに酔わせた。僕たちは同じ早さで一本飲み干して、もう一本ずつステラを頼んだ。

よこしまな自由ってなんだろう。気がつくとサラは外で険しい顔をしながら長電話していて、僕の横で見知らぬ男が何か飲んでいた。男の方に向くと彼は、飲んでるよとでも言う風にグラスを持ち上げた。何を飲んでいるのかと聞くと、クーバリブレと言われた。不思議な顔をしている僕に、彼はラムとコーラとライムだと言った。ああキューバリバーと僕が言うと今度は男が不思議な顔をして、やっと僕のキューバリバーが通じない訳を知った。Cuba RiverじゃなくてCuba Libreだった。可笑しい。僕はその可笑しさをなんとか彼に伝えて、彼はイマイチ僕の下手な英語を理解出来ていようだったけど、はははと大きな声で笑って一杯クーバリブレをおごってくれた。クーバリブレってどういう意味なのかと男に聞いてみると、キューバに自由を!と僕の耳元で小さく叫んで僕のグラスに自分のグラスをぶつけた。大きな声で言うとアメリカ人につかまるからね。男がウインクをした。革命に関係あるのか、と僕はひそひそと聞いた。いいや、よこしまな資本主義に関係している、と男は得意げに笑った。ジョークのつもりらしいけど僕にはそのアメリカンジョークが理解出来なかった。外をみると、電話をしていたはずのサラがいない。男がトイレに立った隙に携帯を取り出すと「キュート!楽しんで」とメッセージが残っていた。当時の僕は誰にも何も伝えていなかったから、なんだ知っていたのかと嬉しくなって、よこしまにたのしみつくす、と返事を返してクーバリブレを頼んでみた。すると、きちんとクーバリブレが出てきた。ちょうど戻って来た男がやったね!と僕の肩をおじいさんがするように揺すって、僕はなんだか泣きそうになった。

次の日はひどい二日酔いだった。それ以来ラム酒は控えるようになったけれど、ケーキを作るようになってから、生地にマイヤーズラムを加え混ぜ、たちのぼるその香りにくらくらする度に僕は、よこしまな自由について考えてしまう。

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遅れてきたバレンタインデー

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製作年: 2012
サイズ: 直径6x高さ7cm
材料: 苺、ダークチョコレート、薄力粉、アーモンドパウダー、ベーキングパウダー、グラニュー糖、無塩バター、卵、水飴、生クリーム
価格: ¥400

僕はいつからかバレンタインデーというものが苦手で興味がなくて、どうしようかと考えた末に、自分でケーキを焼いて周りのひとたちに渡してしまえば良いのかもしれないと考えた。2011年の2月14日、僕はホワイトチョコレートと苺のケーキを焼いた。バレンタインへの抵抗を表明してのホワイトチョコレートだったけど誰もそんなこと気にかけるはずもない。表面が黄金色の奇麗なケーキだった。おいしそうだと皆は言ってくれたけど、ナイフを入れるとどろりと液体が漏れだした。優しい皆はフォンダンショコラみたいだと言ったけれど、そのケーキは既に冷めていて、垂れだしたものは生焼けの生地でしかなかった。みんなそれでもとても優しいので美味しい美味しいと食べてくれた。それから僕は毎週の様にケーキを焼いては誰かにあげていた。

2013年2月16日。バレンタインは気がつくと終わっていた。結局興味のないイベントはそんな風に過ぎてゆく。週末の洋菓子モームに向けて何を焼こうかと考えたけど何も思いつかず、一応バレンタインらしくダークチョコレートと苺のカップケーキを適当に作ってお店に持っていった。退屈なケーキだったので、カウンターの見えるような見えないようなところに置いておいた。バレンタインに興味がない人間が作ったバレンタインのための数日遅れのケーキだったので、申し訳なかった。

僕のバレンタインへの興味のピークは多分中学生の頃。二年生の時に、友人Yの妹からチョコレートをもらったことがあった。友人Yの妹は、女友達を引き連れてふたりで現れた。そんなものには縁がないと思っていた僕はビックリしてしまい、別に友人Yの妹のことを気にした事もなかったから、顔を真っ赤にさせてもごもごとそれを受け取った。チョコレートは奇麗なラッピングがなされていて、家に帰り、ぱりっとした包み紙とホイル紙を剥がして噛むと、中から酸っぱい苺のソースが溢れて舌にふれた。とがめられるような美味しさだった。その日以来友人Yの妹が僕を避けはじめた。すれ違う時は顔を真っ赤にさせていた。僕もそうされる度に悔しくて顔を真っ赤にさせた。するとその兄である友人Yがいじわるに声を上げて笑うので、僕もなるべく友人Yの妹を避けるようになった。3月14日になった。僕が育った場所は小さな島で、おしゃれなチョコレートが買える場所なんて限られている。そんな場所恥ずかしくて行けないから、僕は近所の商店を幾つもまわって、ちいさなチョコレートをたくさん買った。Reese’sのピーナツバターカップ、チロルチョコ苺味、包み紙が金色のKissチョコ。それでも足りない気がして、居間のお菓子箱から無味乾燥な透明の包み紙にくるまれたピーナツチョコをいくつか加えた。僕はそれらを適当な箱に入れて、可愛いような気がしていたドラえもんのラッピングペーパーで包んだ。友人Yの妹に渡すように、と友人Yの妹の友達に渡した。放課後、友人Yは大人びた真っ黒なラッピングペーパーに包まれた小さな箱を僕に見せる様な見せない様なそぶりでどこかへ行ってしまった。きっと中にはとびきり苦いダークチョコレートが入っている、そんな包み紙。一緒に買いにいこうと言えば良かった、と後悔したけど遅かった。もうあと一年で彼とも会えなくなるだろう。

友人Yの妹はその後も僕を避け続けていた。あの時せめて直に渡しておけば、とふと思い出すけれど、何と声をかけて良かったのか、僕は今でもわからずにいる。そして、何と言われたか。友人Yの妹のことを思い出すと、彼女の顔よりも、彼女の兄である友人Yのいじわるな笑顔を思い出す。彼は自衛隊に入ったそうで、成人式以来会っていない。